何者かになりたい
2024/09/18
毎日の雑事に追われて忙しく生活していてもその中に楽しみや嬉しいことはありますが、人生を顧みると感じる「虚無感」のような感覚。達観しているかと思いきや、自分がどこに向かっているのか分かりたいという見えない何かに対する不安はどこかにあったりします。今すぐにどうにかしなければいけない、また、どうにかできる問題ではないと信じてしまっているからこそのモヤモヤを感じること、ありませんか?今回はその辺を少し掘り下げて考えてみます。
目次
「見える人」がいて欲しい
幸せになれるように、やっていることが良い方向に向くように行動していても正直どうなるか分からない。
分かるなら教えて欲しい、未来の自分。そんな時「占い」、氣になりませんか?個人的には、見たことのない自分の未来を他人に認定されるのが苦手なので私はお願いしませんが(笑)、世の中が不安で満ちている時ほど需要があるらしく、人に心理に必ずと言っていいほど起こる「見通せる力が欲しい」とか「これを信じれば大丈夫」という盲目的に信じるモノがあるとありがたい感覚。でも、それを支えにすればするほど「自分」が無くなります。本当のところ、広い視野よりも大切な主観的で個人的な自分。
神話的な立ち位置を築きたい
個人の価値観は人の数だけ存在します。分かっていても、時として自分の価値観から外れた人を見つけて「この人大丈夫?」と勝手に思います。その人にとっては誰に何を思われても何とも思っていなくても、あえてその人に意見してみたり。自分から見てこの人には勝っているという、自負を自分の自信にすり替え批評します。その時点で実はこちらが氣にしているだけ。人には様々な構成要素があり、見えている部分はほんの一部。どんなことも一言で勝ち負けを決められないことを知ると、そんなこと「どうでもいい」ことに氣が付きます。これが分かると自分が人からどう見られるかも「どうでもよく」なります。
いつか終わりが来ることを忘れたい
どんなこともいつか終わりが来ます。なんなら人生も必ず終わる。1発で成功したいかもしれませんが、そもそも限られた時間(人生)の中で「大成功」を引き当てるなど初めから別の意味で可能性を捨てています。何が自分に向いているかなんてやってみなければ分かりません。どんなこともトライ&エラーの繰り返し。その中で経験を積み順応出来ることが増える。そこに夢中になれるなら、いつかくる終わりにも後悔しなくて済みます。終わりを意識しないからいつまでも人生はあると信じて、行動せず妄想の中で生きることになります。終わりが来るから「今」が大事になります。
自分が輝くために
生きている実感の多くは他者との関係性から形作られますが、実際のところそれは自分自身の輝きとはあまり関係がないかも知れません。「やりたいこと」を「やりたいように」やればいいですし、「やれる方法」で進めればいい。人から言われてやっても、本意でないものはアイデアも浮かびませんし続きません。何より楽しくない。ひらめきは天から降ってくるように感じますが、いつもどこかで考え続けているからこそのちょっとしたヒントは自分からしか発生しません。目の前のこと、身の回りの環境、色々な条件、なにもかも「氣にせず」行動できるちょっとしたスイッチをオンにする必要があります。
すべては錯覚だと氣が付けばいい
自分の考えや思い、目にしているものや聞いている情報。確かに感じて受け止めて存在しています。そこに疑いはありません。でも人は自分の見たい世界を見たいように見ています。忘れてはいけないのは、物事に「絶対」は無いということ。どんなに悲しくてもどんなに嬉しくても、それを自分と全く同じに人と共有することは出来ません。そういう意味で全ては錯覚だと氣が付ければいいんです。
ならば、「なりたい自分」にはどんな方法でも考えつく方法でなればいいんです。いつからでも遅くはない。自分にしかない感覚を大切に、皆さんも自分自身を輝かせて過ごしましょう。